肝に銘じている「自分を信用してはいけない」の意味
「自信を失え」という意味ではない
むしろ自信は大きくなるべきだし、自分を信用しなくなったら自信がはるかに大きくなりました。矛盾するようですが、私にとってはまごうことなき真実です。
あなたの心はアイデアを思いつくことはできても、それらを保持しておくのには向いていない。そうしたアイデアは外部に書き出してしまおう。大切なのは「気になること」を頭に溜めこまずに、それらについてどうするかにもっと注意を向けることだ。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」より)
私が考える、持ってはいけない「自分への信用」は、自分が記憶媒体として使えるという信用のことです。要するに「忘れない」という思い込みを捨てよということです。
「忘れたらどうする?」への返答
そんなこと言ったって、記憶していないと生活していけないんだから、「頭に入れる」という形の情報保存方法はアリなんじゃないか?と思うかもしれません。でも、そう思い込んでいる人に「忘れたらどうするの?」と問いかけたらどう答えるでしょうか。
忘れても大勢に影響がないのであれば「別にいい」という答えになります。その場合は何も私からは言うことはありません。
しかし、この情報は正確に保存しておかないと大変なことになる、といった場合はどうでしょうか。仕事に関する情報はこの類だと思われます。
「仕事の納期、メモとるのを忘れちゃったらどうするの?」という質問に対して、「すみません、メモ取りますのでもう一回確認させて下さい」以外の答えで、私は満足な答えを聞いたことがありません。「忘れないように頑張ります!」とか「気合いで覚えています!」といった返答はそもそも答えになっていないですね。
他人事ではない
こう書くととんでもなく間抜けなサラリーマン像を想像するかもしれません。でも、記録を残さずにいたり、あるいはメモを書いた付せんが剥がれて紛失してしまったり、という経験のある人は、ほぼこの人と同じ穴のなんとやらです。
持つべき自信とは
仕事を確実にこなすためには「忘れてもいいように準備をしている」が正解だと思います。そして、忘れてもいいという安心感が、本来持つべき自信を与えてくれます。そういった形で自分をバックアップしてくれる方法論がタスク管理"GTD"だと実感しています。
「忘れない」という根拠のない自分への信用は百害あって一利なしなので、そんな信用はすぐに捨てることをお勧めします。「自分は忘れてもいいんだ」という安心感が等身大の自分を認めることを許し、自己肯定感が生まれます。
発達障害の不注意優勢特性を持つ私にとって、自己肯定感を得ることは死活問題でした。タスク管理は、同じような特性を持ち悩んでいる人の道しるべになると確信しています。