ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

助かった!と思う瞬間

忘れ防止機能

タスク管理をやっていて良かった!と思う瞬間は数多くありますが、まず思い当たるのが先日こちらで書いた、仕事の抜け・漏れ・忘れを防止する仕組みがうまく作動した瞬間ですね。

hochebirne.hatenablog.com

 
昔のことを訊かれる
次に思い当たるのが、とうの昔に忘れてしまったようなことを思い出さなければいけない時です。

 

私は、世を忍ぶ仮の職業としてメーカー管理部門の法務なるものをやっています。数ある仕事の中で、契約書締結というものがあります。取引先に物を売る場合はその基本的な条件を合意した契約書が必要ですので、その内容を作成して書面に落としこむ仕事をしています。

 

「契約書どうなってる?」
これが案件の性質や先様との関係によって長きに渡る場合があるんですね。ものによっては一昨年から交渉が始まって昨年の夏に最後のやりとりがあって、いきなりその件の話が再燃したりします。

 

さらには、契約書を取り交わしたつもりになっているものの、実は交渉の途中で放置されていたりします。そんな取引に限って「言った、言わない」の話になって「契約書どうなってる?」という話になってしまうのが世の常です。

 

タスク管理前
タスク管理前の私は、「契約書どうなってる?」の呪文を唱えられた日には半日がかりで机の上にうず高く積まれた書類の山、PCのメールボックス、部のキャビネットをひっくり返し、それによって分かる断片的な手掛かりを元にストーリーを作成し、ほぼ創作のストーリーを自信なさげに回答することになります。当然ながら、十中八九は誤った情報を回答してしまい、時によっては大目玉を食らうことになります。

 

タスク管理以降
タスク管理以降は、ほぼ1〜2分で回答は済むようになりました。タスク管理ツールに「いつ」「誰が」「何をして」「今誰がボールを持っているのか」が集約されて記録されているからです。場合によっては「去年の11月20日に私から返答していて、先様担当者からの返答待ちです」といったことをすぐに回答することも可能になるわけです。

 

焦って半日がかりでストーリーを創作すること、それが間違っているかもしれないと不安に苛まれることがヘッチャラだという方は別として、それに耐えきれないという方は、発生する業務タスクを記録して自分の身を守ることをお勧めします。タスク管理ツールはあなたの強い味方になること請け合いです。

タスクのリストはできるだけ集約した方が良い理由

複数のトレイ
机の上に複数のトレイがあったとして、私はそれを有効活用したことがありません。厳格なルールに従って分類されて、いつでも目的の書類を取り出せるような工夫につながったことはありません。むしろ、どのトレイに何を入れるべきかルールが次第に破綻し、ただ単に探すのが面倒臭いというだけになってしまうのが関の山でした。

 

GTD推奨事項のうち私が取り入れていないこと
GTDの開祖デビッド・アレンが進めているやり方は、一定の分類ルールに従い複数のリストにおさめるというもの。考え方は良いのですが、書類をすぐに散らしてしまうような、整理整頓のスキルにポイントを全く振っていない私にとっては、管理すべき物や情報の入れ物が複数あることは不安要素以外の何者でもありません。

さまざまな「プロジェクト」や「行動」「連絡待ち」「いつかやる/多分やる」のリストや、仕事で負っている責任、ビジョン、価値基準などのリストを見たとき、たいていの人は「こんなにたくさんリストがあるのですか!」と仰天する(ただし感動したというより呆れたという口調である)。そんなとき、私はこんなふうに応じる。「あなただってスケジュール帳を持っているでしょう。それを捨てられますか。」
(中略)
ストレスフリーで生産性を高めるのに役立つリストを1つ、すでに使っているのに、なぜ他のことについてもすべてリストで管理しようとしないのだろう。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」)

デビッド・アレンは著書で「1つのリストで管理しているんだから、リストがいくつあっても同じように管理すればいいじゃない」と言っています。無理です。私にとって1つか2つ以上かでは心理的負担が大きく違います。できるだけ探す先は少ない方が良いのです。格好良く言うと情報の一元化です。情報や物が散在すると必ず物を無くすという面倒臭い特性が私にはあるので、死活問題です。

 

1つリストの工夫
とは言え、全ての物や情報を1つの入れ物にごちゃっと入れておくと、それはそれで大変です。なので「1つのリストを見さえすれば良い」「リストの中でフラグを立てたりやタグをつけたりして分類し見つけやすくする」という方針を私はとっています。

 

結果的には同じようなことかもしれませんが「複数のリストを探す」と「1つのリストだけ探せば良い」との間には大きな違いがあると思っています。

「認めたくないものだな、自分自身の〇〇ゆえの過ちというものを」

明らかに結果が出ているのに認めない
この記事のタイトル、(ファースト)ガンダム世代であればお馴染みのシャアの台詞です。そろそろ自分の脳は記憶して情報を保存する機能には向いていないということを認めるべきではないかと思っています。そういうと怒る人がいるかもしれませんが、そもそも能力が劣っているということではないですよね。車は線路の上を走れませんというレベルの、ごく当たり前の事実に過ぎません。

 

脳が、忘れるかもしれないという「不安」を作り出す
忘れる、つまり長期間にわたり正確に記憶することができないという私たちの脳の特徴は、「覚えておくことができない」という不安を引き起こします。その不安が精神的な負荷を自分に与え続けることになります。

 

思うに、この精神的な負荷を軽減するのが、「忘れる」ことに対する正しい対応策ではないかと思っています。つまり、「忘れない」より「忘れてもいい」環境にする。

心は、あなたがやるべきことを管理するのが極めて苦手なのだ。あなたという存在に忠実に従うその性質ゆえに、きちんと対応できていないものがあることに気づくと、心はそれにこだわってしまい、先ほどのように悲鳴をあげてしまうこともしばしばだ。そうした事態を避けるためには、どこか別のところでやるべきことを管理しなくてはならない。言い換えると、外部の何らかのシステムに取り込まれていないものは、いつまでも心の中にとどまってあなたの心に負荷を与え続けるのである。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」)

 

GTDで行う不安軽減策
GTDでは「自分の頭で覚えられないのなら、外部に記憶させればいいじゃない」と言っています。なんだそんな当たり前のことと思うかもしれません。そう、当たり前のことなんですね。だが、それをみとめようとせず「自分は覚えていられる!」と根拠なく言い張っているというのが、GTDを取り入れない人の現状ではないかと思います。

 

自分の脳は記憶に向いていない。これを認めて、外部に記憶の役割を託す。すると驚くほど「忘れるかもしれないという不安」から自由になれます。

あらゆるときに「とりあえず」進める考え方

書類を目の前に腕組み
仕事の書類を渡されて、あまりにもどう対処したら良いか分からなさ過ぎてしばしフリーズしてしまった経験がよくありました。「とりあえずやってみろ」とは言われるものの、それができないのです。

 

取り掛かり方
今では、仕事に着手できないのは、段取りへの分解ができていないからだと分かります。仕事を振られて、「ええっ!そんなのどうやってするの?無理でしょそんなの」と思うことは今でもよくあります。そんなときでも、ひとまず一呼吸置いて、とりあえずやれることを見つけ出したり、その仕事が完了するまでの段取りを自分なりに組んだりします。それは間違っていたりしますが、とにかく前に進むことあるのみ!です。

 

階層的な思考
このような取り掛かり方をするベースには、その仕事を完了させることを目的として、そのために必要な具体的な行動や作業に分解して落とし込むという考え方が必須だと考えています。これを階層的な思考と呼びます。ただ単に目の前にある仕事にたじろぐのではなく、一階層下の要素へ分解する。これをしていくことで、着手しやすくなり、仕事を進めることができるという結果につながります。

 

この階層的な思考は、GTDを運用する根幹の考え方「ナチュラルプランニングモデル」と似ています。

ナチュラルプランニングモデルは「人生、会社、長期的な取り組みといった大きなものに当てはめて階層的に思考するもので、意識を向けるべきことを明らかにしてすっきり見渡すための、最も効率的なやり方(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」)」

 

いつでも使える有用なアプローチ

この引用の通り、GTDのこのナチュラルプランニングモデルという階層的な思考のアプローチは、仕事場などの一定の条件でしか機能しないわけではないんですね。いつ・いかなるときにも通用する普遍的な真理だとデビッド・アレンは言っています。

 

一足飛びに完了させるような魔法ではなく、GTDはむしろ地道な道程を一歩一歩歩んでいくようなものです。ただ、それだけに「とりあえず」進めるにはとても重宝する方法論だと確信しています。

タスク管理で不眠対策

バッハと不眠症
ゴルトベルク変奏曲というバッハが作った曲があります。不眠症に悩む貴族から依頼を受けて作曲されました。聴いているうちに眠くなるという謳い文句です。クラシック音楽へ「退屈だ」「眠くなる」という批判へのアンチテーゼのようなロック(?)な作品です。

 

不眠症の原因は1つではないでしょうが、私が経験した「なかなか眠れない体験」は、仕事の不安が襲ってきて神経が覚醒してしまうというものでした。何か気をそらすものがないかと、音楽やラジオを聴いたりしました。


ベッドの中の午前1時

午前1時にベッドの中にいるときに「そうだった……来週シンガポールに行くとジャニタに伝えるのを忘れないようにしないと!」といった考えが浮かんできてしまうのだ。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術 実践編」)

そして翌朝にはさっぱり忘れていたりします。シンガポールに着いてから「あ!ジャニタに伝えるのを忘れてた!」と気がつくことになります。それにしてもジャニタって誰ですかね。メアリーとかヘレンとかじゃないんですね。

 

タスク管理で元を断つ
GTDでは、気になることにどう対処するか腐心するよりも、気になることをなくせば良いという思想があります。背負い込んでいる気になることをおろしてまとめ、別のところに置いておこうという考え方です。

 

具体的には、例えば仕事ですが、やるべき仕事が発生したらその仕事の完了までの段取りを書き出します。進捗も全部記録します。途中で時間が来たらそこで終わりです。翌日はその続きをやれば良い。段取りをただ実行するだけなので不確定要素はとても少なく、不安に感じることはかなりなくなります。

 

その段取りは正しいの?
その書き出した段取りが不完全なものかもしれないと思うかもしれません。確かに、最初から正しい段取りを自分が分かっているとは限りません。ただ、その時点では自分にとって正しいと信じられれば良いのです。絶対的に正しい必要はなく、タスク管理ツールに段取りを書き出すことは、言わばおまじないの部類に入るかもしれません。

 

自分が正しいと思ったらそれを信頼してぐっすり寝ることにしましょう。そのためにツールをきちんと使うことはセットです。都度ツールを更新する煩雑さを乗り越えれば、快眠を手に入れやすくなります。

サイボウズ「働き方改革、 楽しくないのはなぜだろう。」について

サイボウズ20周年記念サイトで、痛快な映像作品が公開されていました。第1話「残業編」。アリの後藤さんとキリギリスの井上さんの会話にニヤニヤ。

cybozu.co.jp

 会話の間や言葉のチョイスが絶妙にリアルな2人(2匹?)の会話、聴き続けていくにつれて強烈な皮肉が含まれているのが分かります。kintoneの販促のために駅に貼られたポスターもなかなかエッジがきいていて良かったですね。このサイボウズ独特の視点、「『働き方改革!』『とにかく残業なくそう!』に対して基本的には賛同しつつも一定の距離を保つ姿勢はとても好きです。

 

声高に叫ばれる「改革」
2、3年前から「働き方改革」とか「生産性の向上」とか大変声高に叫ばれています。労基署の活動が活発化して有名企業に労働基準法のメスが入ったり、プレミアムフライデーを推奨したりしています。それ自体は良いことだと思いますが、抜本的な改革はまだ手付かずなのではないかと思っています。

 

規制強化だけでは解決できない
皆さん薄々分かっていると思いますが、ただ就業時間を制限すれば良いわけではないですね。結果的に生産性が上がったりすることもありますが、あくまで結果論であってその方法論では会社に内緒でカフェでサービス残業したりというような形で、いずれ歪みが生じます。というか、もう生じていますね。

 

時間が短くなると、結局短い時間でも以前と同じくらい仕事をこなさなければいけないという個人の努力が必要ということになります。いきなりそんなこと言われても、何をどうすれば良いのか分からない。だから、隠れてサビ残という方向にならざるを得ない。

 

仕事の進め方を変える
抜本的な改革とは具体的に何か。今まで個人の自由裁量の領域であった「仕事の進め方」にメスを入れる必要があるのではないかと考えています。以前よりあった「マニュアル作って平準化」といった対応の、もう一段階前です。仕事上の無駄な時間を削って、より効率的に業務タスクを完了させる。精神的な負荷も減らして取り組みやすいようにする。これが働き方改革の本丸ではないかと。就業時間の規制やプレミアムフライデーだけでは片手落ち、というかむしろ労働者への負荷を余計に強めてしまうだけですね。

 

そこで!
そこでタスク管理によって仕事の進め方を抜本的に変えるという解決策があるわけです。時間の規制にはタスク管理がセットにならないと意味がないと思います。

 

私の実感としては、タスク管理を習得してこそ、時間的・精神的な余裕があり、結果的に仕事にかかる時間が減ることになったと考えています。なぜ「仕事の進め方」が働き方改革の最重要論点になっていないのか不思議だというのが、正直な感想です。

 

このことを考えるきっかけになったサイボウズ20周年サイト、面白いですよ。そして、できればサイボウズの中の人と働き方改革におけるタスク管理についてディスカッションしたいです。

抜け漏れが分かる瞬間が嬉しい

抜け漏れが分かると
仕事には抜け漏れがつきものですね。そんなこと一切あったことがないなんて人はいないはずです。いたら、相当の天才か自分に都合の悪い記憶を瞬時に消せる特殊能力の持ち主です。

 

そうではない一般的な人々である私たちは、どのようなタイミングで抜け漏れしていたことが分かるのか。それは、いわゆる「やっちまった」ときです。「あれどうなっている?」「あっ!忘れていました!すみません!」といった会話をしているときですね。だから、抜け漏れはできれば分かりたくないものです。

 

私は抜け漏れが分かると嬉しい
私は、抜け漏れが分かるタイミングが嬉しいのです。叱責されたいというドMの変態ではありません。抜け漏れが分かるタイミングは、上司からのおとがめタイムではなく、ツールがそっと教えてくれるのです。つまり、おとがめを受ける前にタスク管理ツールが私を救ってくれるタイミングなのです。これは嬉しいです。


ツールが抜け漏れを教えてくれるとき
私は、とっさに発生する「割り込みの仕事」が抜け漏れの対象となることが多いです。割り込みの仕事を頼まれたら、バババッとタスク管理ツールにタスク名と締切を入れ、自分ボール持ちであるフラグを立てます。

 

そしてその割り込み仕事を忘れます。ここ重要です。忘れなければいけません(笑)そして数時間後、別の仕事がひと段落してサーっとツールを見ていると、急いで入力したあの割り込み仕事があるのを見つけるわけです。これぞ抜け漏れの決定的瞬間!もしツールの記録がなければスルーしていました。

 

「抜け漏れがない」ではなく「抜け漏れをしても大丈夫」
タスク管理をキチンと回していると、抜け漏れなく進められるという印象があります。しかし実際は「抜け漏れはあるが、顕在化する前にフォローできている」というのが正しい理解です。私の抜け漏れ率は割と高く、2、3日に1回はあります。ツールを見て「あー!これ忘れてたー!」と自分の抜け漏れが分かる瞬間は、嫌な気分どころかむしろ嬉しくなってしまいます。「抜け漏れをしても自分は大丈夫なんだ」という安心感がそうさせてくれるのでしょうか。