次のサブタスクの積み上げと、さいごのサブタスクからの逆算。
タスク管理の究極的な目的は、人生最期の瞬間にどうありたいかだと思います。
その具体的なイメージはどのようなものでしょうか。
病床にいて、家族が周りにいて、というのを想像する方が多いかもしれません。
その瞬間を喚起するもの
視覚的なものでイメージを思い浮かべるのもありです。私は音楽、特にクラシックが好きなこともあり、「こんな気持ちで最期を迎えられたらいいなぁ」というイメージを喚起してくれる曲があります。
リヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩「死と変容」です。
ある病人が自分の人生を振り返り、無邪気な子供時代や活発な青年期などを思い起こし、やがて天へ召されていく
死と変容はそんな内容を音楽にしたものです。
この曲の最後の6分間がとても美しいのです。しかも、元気いっぱいの美しさではなく、この世への名残と懐かしさが感じられる美しさです。
この部分を聴いていると、「こんな気持ちで人生を終えられたら幸せだろうな」と思います。私の理想の最期の瞬間です。
逆算思考と積み上げ思考
理想の最期の瞬間がイメージできているのであれば、人生というタスクの最終サブタスクは見えているわけです。
常々思うのですが、タスク管理は、逆算思考と積み上げ思考の2つを並行させるのが良いと思っています。最終サブタスクから一手ずつ戻ってサブタスクを明確にする。次に取るべきサブタスクを明確にする。
むりやり自分の人生をタスクと見立てて、タスクペディアに入力してみました。
さしずめ、私の「人生」タスクの最終サブタスクはこんな感じでしょうか。
業務が急展開した時のためにサブタスクをできるだけ埋めておく
仕事上のタスクの話になります。途中のサブタスクをあまり埋められていない場合、そのタスクを取り巻く環境が急激に変化したときについていけなくなることが往々にしてあります。
逆算と積み上げの両方を使って、できるだけ早いうちに最後までサブタスクを埋められれば、この道を辿っていけば完了するという安心感を持ちながら仕事を進めることができます。
このときのサブタスクは、私の感覚からすると、絶対的な正解である必要はないと思います。「次何をするかわからない」「業務完了までの見通しがつかない」を避けるため「とりあえず埋めてみた」で十分だと感じています。
さいごに
仕事上のタスクから「人生」タスクに話を戻します。人生の最期につながるサブタスクは、分からないままの方が良いかもしれません。そこは仕事とちょっと違うところですね。人生の見通しがつきすぎていては、面白くない。
なお、この曲を作曲したリヒャルト・シュトラウスはこんなエピソードを残しています。
1949年9月8日、シュトラウスは満85歳で世を去った。彼の妻子によれば、この48時間前にシュトラウスはいったん昏睡状態から意識を回復し、こう語ったという。
「私が『死と変容』のなかで作曲したことは全て正確だったと、今こそ言うことができる。私は今しがたそれを文字通り体験してきたのだよ。」
wikipediaなので真偽のほどは定かではありませんが、自分も是非そうありたいと思います。