ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

タスク管理は「やりたくない」を変えられない。

 今、私の中ではこの話題が熱いです。

 

 

考え始めたばかりで、まだ結論が出ていません。すぐには出ないものだと思います。なので、この記事はこのテーマを考えるきっかけに過ぎない、まとまっていない思考であることをあらかじめおことわりします。

 

タスク管理をし始めたら、やりたくなくなってしまった

 

読んだときに「なるほどなぁ!」と思いました。今まで考えもしませんでした。

 

タスク管理は「やりたくない」を変えられない

真っ先に思ったことは、やりたいことがやりたくないことに変わってしまうのはタスク管理のせいではないんじゃないかということ。タスク管理はあくまでツール・手段であって、やりたくないことをやれるように変換する機能は無いと考えています。

 

頭の中にボワッと存在する「タスクのもと」みたいなものは、タスク管理で具体的な行動へと明確化されます。この明確化によって現実的な作業に分解されることが、もしかしたら逆にやる気を削いでしまう原因なのではないかと思いました。

 

靴飛ばしの思い出

昔々、近所の友達とブランコに乗ったまま靴をどれだけ遠くに飛ばせるかという遊びをしていました。結構なお気に入りの遊びで、とても楽しかったのを今でも覚えています。

 

ある日、靴飛ばしをしようと友達に持ちかけたところ、その日彼はかくれんぼがしたかったらしく、靴飛ばしがどれだけ面白くないかを私し力説し始めました。

 

「だってさー、靴飛ばしって、結局ブランコに乗って靴を飛ばすだけじゃん」

 

私は言い返します。

 

「かくれんぼだって、隠れたのを鬼が見つけるだけじゃん」

 

結局どちらの遊びをやったのかは忘れてしまいましたが、「あれ?こう考えると遊びが面白くなくなるぞ!?」と思ったことは記憶に残っています。

 

やりたいことを実現するために、やりたくないことをする

やりたいことをするためには、やりたくないことが往々にして発生します。豪華な温泉旅館へ旅行するには、行き先を決めて、泊まる旅館の情報を見比べて、割引のある時期や条件の情報を漁って、そもそも泊まるための費用を捻出しなければなりません。

 

もしかしたら、タスク管理は、魅力あふれるやりたいことを無味乾燥な作業に分解して、人によってはその目的の持つ魅力を弱めてしまうのではないかと思いました。

 

タスク管理とはそういうもの、なのかもしれない。

タスク管理、少なくともGTDは「頭の中にあるやりかけのこと」を書き出して整理すること等によって精神的な負担・不安を軽減することを目的としています。つまり、書き出すべき事項のほとんどは無味乾燥な「やらなきゃいけないこと」になってしまうのがGTDでは自然なのかもしれません。

 

そこでどうすれば良いのか。次の選択肢が思い浮かびます。

 

  1. やりたくないことの実行過程を楽しめるように工夫する
  2. やりたくないことはやらない・他人に任せる
  3. やりたくないことでもやっている状態を他人に見られる状態にする
  4. やりたくないことをやりたいことだと思えるようにする。

 

1は、例えば情報の書き出し先を自分が常に触れていたい媒体にする、といったことが考えられます。お気に入りの手帳があればそれを使ったりするのも良いですね。

 

2と3は、自分一人ではなく、目的を達成するために誰かとチームを組んでいくのがイメージしやすいですね。自分の経験上、これが一番推進力あります。

 

4は……私ではちょっと想像できないです。精神論・根性論のアプローチしか思い当たりません。

 

いずれにしても、ツールに書き出して、GTDのステップに則っていけばたちどころにタスクが進む!と考えていた自分が見落としていた点であり、興味深いテーマです。