「すべてのタスクを収集する」のは「収集した以外のタスクは実行しない」ということ
私の性格の特徴として、
他人の問題まで責任を感じてしまう
というものがあります。
これが困りもので、誰にも頼まれないのにどんどん勝手に落ち込んでいくという状態に陥りがちになります。
また、人に責任をなすりつけようとする人から濡れ衣を着せられた経験が少なからずあり、これまた厄介です。
知らないうちに自分のせいにされて、そしてそれを自分も納得してしまうのです。
このような特徴を持っていると、組織の中でうまくやっていくのがとても難しくなります。
ある意味、組織というか会社は、責任の押し付け合いで物事が進んでいくという側面があります。うーん、嫌な言い方ですね。
だからこそ、規程で職務権限や決裁権限をキチンと決めて、責任の所在をできるだけ明確にするんですよね。
それでも、低いレベルでの責任のなすりつけ合いはあるわけで。
私は、先に挙げた特徴のせいで、その餌食になっていたわけです。
それをどうにかしようと思ったわけではないのですが、GTDをすることで、ある意味「上手く立ち回る」ことができるようになってきたと感じています。
それは、
すべてのタスクの記録を残すことで、自分のやったことに対して「言った言わない」の争いを避けられる。
GTDの根本である「すべてのタスクを収集する」ことを別の側面から見ると「収集していないタスクは自分のタスクではない」と考えることができ、タスク管理ツールに載っていないタスクは自分の仕事じゃないと、自分の中で割り切ることができる。
この2つです。
特に2つ目は、自分の中に大きな変化をもたらしました。
例えば、社外文書の作成という仕事があり、その文面を作ったとします。
文面はオッケーと、営業部門へパス。
その後は、営業部門が社外文書をリリースするのですが、その役割をあまり本人達が分かっておらず。
そこで私が手を貸してリリースまでやってしまえば事はスピーディーに収まるのですが、私はあえてやりません。彼らの仕事だからです。
やってあげたら彼らも喜ぶし、仕事も迅速に終了するのに、と手を出したくなる気持ちをグッと堪えます。
そのグッと堪える理由を「だって、自分のタスクにないから」と自分で収まりをつけます。
こうすることは、自分の中の価値基準では「悪い」ことです。でもあえて堪えます。自分の身を守るためです。
そしてこれは最近ブームのアドラー心理学で言う「課題の分離」という手法なんだそうです。
全力でタスク収集はするものの、いったん収集したら、そのリストにあるもののみを実行する対象にする。
「やってあげたらあの人が喜ぶから」とか不用意にタスクを増やさない。
特に会社組織では、この境界線の設定が、極端な話、自分の死活問題になります。
タスク収集は、実はこんな論点も内包しているのが、改めて認識できました。