ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

GTDは業務効率化がゴールではない

業務効率化しただけでは、GTDをやる意味はありません。

 

結果的に仕事は早くなると思います。

 

では、何がゴール、目的なのか。

 

それは、GTDの開祖デビッド・アレンが言っているように水のように澄みきった心を手に入れることです。

 

この比喩を言い換えると、「学生時代の定期試験が終わった時のあの解放感」です。

 

会社で仕事をしていると、どうしてもタスク管理の業務改善という側面が強調されてしまいますが、それができた上に、仕事をしている本人が気持ち良く仕事ができるかまで達成してナンボだと思います。

 

業務効率化を最終的なタスク管理の目的だとすると、効率化で空けた時間に仕事がドサドサ詰め込まれるわけで、「これじゃタスク管理やる意味が無いじゃないか!」と机をドンドン叩いて怒ることになるのです。

 

もともと、時間当たりたくさんの仕事を処理できるのは良いことなので、それを実現したのに不満が残ってしまってはもったいないですよね。

 

やはりGTDの醍醐味は、仕事が終わって会社を出てから、「仕事は仕事場に置いてきた。あとは知らん!」という解放感だと感じます。

 

ただ、立場上、会社を出てからも仕事のことを考えておかなければいけない人もいると思います。そんな人も、着手して終わらせていない仕事の不安にさいなまれることはかなり軽減されるのではないかと。

 

GTDの目的をそのように捉えると、あえて業務効率化を(できるのに)しないというのも手ですね。時間いっぱいにゆるゆると仕事をこなす。あるいは、休憩を多くとる。

 

会社の覚えは良くないかもしれませんが、それがしっくりくるのであれば、その人にとっては良い仕事のやり方だと思います。