ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

脳は、記憶の倉庫としては出来損ないである

 タスク管理はとにかく「記憶」を信用しません。記憶は、忘れたり、いったん覚えてもその内容が変化することがあるからです。言った言わない問題が発生するのは記憶を基に話を進めるからなので、記憶ではなく記録を基に話を進めれば、言った言わない問題は発生しません。

 

また、仕事のことを思い出そうとすると、記憶は要らない周辺情報までくっついてくる傾向があります。「田中さんに画像データの作成を依頼しなきゃいけないんだった」と思い出してタスクが発生したとします。「あ、そういえば……データの作成といえば鈴木さんからさっき頼まれた売上の部門別集計データ、どうしようか......」と、余計なことに思考がとらわれてしまったりします。

記憶というものは、保存したものを、最新(時間的に)かつ最も目立つ(感情的に)という基準で取り出す傾向がある。これはどう考えても効果的なファイル検索システムだとはいえない。
(中略)仕事の全体を1ヵ所でまとめて見られるようにして、次に何をすべきか、より良い選択をするようにしよう。そして、どの仕事をするか自分で意識的に選択しているならば、「今は仕事をしない」という選択もずっと楽にできるのだ

(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」より)

 

仕事のタスクの情報源を記憶に頼っていると、Aというタスクを取り出さなければいけないのに、なぜかBというタスクを引っ張り出してウンウン唸って考え込んでしまったりします。その度に、「いやいや、あなたはタスクAに向かうべきなんですよ!」と自分に喝を入れなければいけない。

 

私の感覚からすると、タスク管理をしないで仕事をしている人は、かなりの確率で上のような思考、つまり雑念にとらわれることを繰り返しているような気がします。ウンウン唸ってしまう雑念の時間が数秒であれば仕事の進捗に支障をきたすことは少ないかもしれませんが、余裕で30分1時間は過ぎてしまうものではないでしょうか。

 

タスク管理は、この雑念があることによる精神的な負担__余計な不安をかきたてたりするもの__を、集中するべきタスクを明確にすることで減らす効果があります。また、その結果、雑念にとらわれている時間が少なくなるので、その分時間短縮となり、働き方改革でいうところの生産性向上に寄与することになります(記憶違いのリスクをなくすという点はもちろんです)。

 

問題なのは、記憶に頼っていたとしてもその危険性(!)に本人は無自覚であることです。むしろ記憶に頼らないことを負けと感じて、何が何でも思い出そうとする人もいます。自分を受け入れるというのは、このような考え方を捨てることだと実感しています。自分の脳の出来損ないぶり、負けを認めることが大事だと思います。