ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

最悪に備え、最高を夢見つつ、その間をいく

タスクは整理した。その後は?

タスク管理手法"GTD"の提示するフローにのっとって「把握」「見極め」「整理」をした後に、「選択」というプロセスが登場します。

 

どうやったら正しく選択できるのか。どうしたらその場合に応じた「次に取るべき行動」を選ぶことができるのか。つまるところ、どうやって優先順位をつけるのかという問題です。GTDを教えていてよくされる質問です。

 

次に取るべき行動の選択のために

 質問への回答としては「いくつかの判断基準を持ち、それを使い分ける」というのが私の回答です。

hochebirne.hatenablog.com

 

デビッド・アレンは、「次に取るべき行動」を選択するために必要なこととして次のように語っています。

私が提唱しているGTDのシステムがその答えを与えてくれるのでは、と期待している人もいるだろう。しかし、GTDは正しい判断ができるように準備をするための優れたシステムではあるが、究極的には「今、私がするべきことは何か?」という問いに答えてくれるものではない。

(中略) 

では、どうすれば次に取るべき行動を確実に知ることができるのだろう?それに対する私の回答はこうだ。最悪に備え、最高を夢見つつ、その間をいくことである。

「最悪に備える」とは、あなたの生産性をひどく落としてしまう、やりかけの仕事を意識的に把握しておく、ということだ。「最高を夢見る」とは、前向きの結果やエネルギーに意識を向け続けるということだ。「その間をいく」とは、つまり最悪と最高を意識しつつ、思い切って行動することだ。

(中略)

直感的に行動を起こそうとするときに、その足場を「希望」という滑りやすいものから、「確信」という確固とした土台に変えることができるのだ。

(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」より)

※太字は小鳥遊による

 

締切までの残日数や手順の複雑さ、できなかった場合のダメージ(係長に怒られるのか、社長に怒られるのかなど)などの知っておくべきリスクを全部書き出すことで把握し、その上で、そのタスクの目的を達成したときに得られる価値を比較して選びましょう、ということなのでしょう。

 

普通はリスクを取らないようにタスクを選択しますが、「怒られてもいいからタスクAを捨ててタスクBをやるべき」という優先順位をつけることもあるわけです。最悪のリスクを取りつつ最高のリターンをものにする、といった感じでしょうか。その選択基準を確固たるものにしていこうということです。

 

希望から確信へ

次に取るべき行動を「これをしたほうがいいかな……(あまり自信ないけど)」という希望に基づいて選択するよりも、「締切が近いんだから絶対これをすぐやる!」といった確信に満ちた選択ができた方が良いですよね。

 

蛇足ですが、最悪と最高は、いずれもツールで把握できます。より良く自分の行動を選択していくために、ツールの存在は不可欠だなと思います。

買い物リストをつける習慣

タスクペディアで買い物リスト

毎日帰宅途中に、駅前のスーパーで必要なものを買っています。その買い物リストとしても、タスクペディアは重宝しています。

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以前メモ帳やメール、エバーノートのようなものでやっていたことをタスク管理ツールでやり始めた、ということです。

 

忘れない→自信がつく

私にとってのタスクペディアのように、日常的なことも1つツールに集約するのは、とても良い効果があると実感します。

 

まずは、「あ!あれを忘れていた!」という抜け漏れ防止スマホを見なければ忘れることもあるかもしれません。しかし、今時スマホを見ない人はほぼいないでしょうから、スマホで見られるという点はリマインダーとして非常に良く機能します。

 

さらに、そのリマインダー機能を存分に生かすことで、忘れずに買い物をするというプチ成功体験を積み重ねることができます。プチはプチだと侮るなかれ、この成功体験を繰り返した結果、買い物の抜け漏れが減り続けています。

 

「忘れないようにする」への私のイメージは、「♪思い込んだら試練の道を〜」のようなものでした。何らかの苦しい訓練を経なければ「忘れない自分」を得られないと思っていました。

 

しかし、買い物というイベントを繰り返し成功させていると、タスクペディアをいじるのが楽しくなり、それがまた抜け漏れのない買い物を実現し、という好循環に乗っています。これは、自信がつく1つのモデルケースではないでしょうか。

 

集約!さらに倍!

これが、買い物だけにとどまらなければ、自信のつきっぷりはそれだけ大きくなるのではないでしょうか。全ての仕事を1つのタスク管理ツールへ入れ、それらを確実に終わらせていけるなら、ツールの存在が自信の源になります。集約すればするほど、自信の高まりの幅は大きくなるはずだと思っています。

 

エクセルのタスク管理ツールだけ使っていたときは、仕事でしかタスク管理をしていませんでしたが、タスクペディアのようなスマホでも使えるツールがあると、日常生活でもどんどん取り入れていきたいと思うようになりました。

カイシャにはリネンが大事

読みました

就職活動で抱いた違和感が、今頃になって解消されました。それは、この本を読んだからです。

www.php.co.jp


就活のときに感じた違和感は、「自分は何でこの会社に入ろうとしているのか」、つまり志望動機にありました。正直言って、その当時入社試験を受けた会社に心から入りたいと思っていなかったのです。

 

それなのに、思ってもいない志望動機を作り上げて面接でアピールしなければいけなかったわけですね。そうするのが社会人への入口だ、みたいな雰囲気がありました。体良く面接をやり過ごして、どれだけ内定を取ることができるかというゲームに、私は馴染めずにいました。

 

結果、自分の興味があるクラシック音楽のアーティストをマネジメントする事務所にアルバイトとして入り、その後自分探し迷走の10年を過ごすことになります。

 

会社に入社したけれど……

その後、自分の発達障害が発覚するなどの紆余曲折はあったものの、まがりなりにも会社というものに入ることができました。しかし、自分が心からその活動に共感してジョインする、みたいな入り方ではなく、求人票で「なんかできそう」「まぁ、食っていくための手段としてね」といった考え方でした。

 

その考え方は、悪くはないです。自分には違和感があり続けましたが、だからといって間違いだとは思っていません。今まで私がお世話になった会社は現在の会社も含めて3社ありますが、選択を間違ったとは思っていません。

 

ただ、心から「この会社で働くことこそ、自分の人生の目的だ」といったことは、考えたことはありませんでした。

 

目的のもとに集まる

青野さんの本では、そもそもある目的のもとに仲間が集まってできたのが会社であると言っています。そしてその目的は理念となって会社に残ります。理念に共感すれば集まり、自分の方向性とは違うと思えば離れます。とても分かりやすいです。

 

会社自体をタスク管理という切り口で見てみる

会社というのはヒト・モノ・カネがたくさん集合して、理念という目的に向かって様々なタスクを実行していくプロジェクトだと捉えることができます。

 

タスクは、どんなものであっても、目的を明確にする必要があると考えています。そうであれば、会社というプロジェクトには明確な目的、言い換えれば理念が必要になります。

 

理念が有名無実化していたり、自分にとってあまり刺さらない理念の会社は沢山ありますね。そういう会社の仲間入りをしようということ自体、「目的の曖昧な、あるいは自分にとってやるべきとは言えないタスク」をしようとするのと同じだと考えることができます。

 

目的のないタスク、やりますか?

こうして考えると、会社で働くのであれば、理念に共感して入社した方が、より前向きに仕事に取り組むことができるのではないかということになります。

 

会社とタスク、重ねて考えるとこのように考えられるのですが、どうも自分は会社に入ること自体しか目に入っていなかったなと思いました。

 

今所属している会社だけでなく他の会社も、どんな理念を掲げているか、その理念は地に足がついているかという観点で見ると、新たな会社の評価軸が自分の中にできるような気がしました。

コントロールしている感の正体

コントロールしている感とは

仕事はコントロールされるな、コントロールしろ、みたいなことはよく言われます。そもそもこの「コントロールしている感」とは何ぞや?という話です。

 

週の出社が2.5日

先日、このようなツイートをしました。

何いきっているんだ?と言われそうですね。すみません。いきってました。

 

週7日のうち2.5日が、いわゆる会社の物理的なオフィスに移動してパソコンをカタカタやる日でした。細かい内訳はこんな感じです(ちなみに、残業はゼロです)。

  • 月曜日 通常勤務
  • 火曜日 展示会参加で終日外出
  • 水曜日 通常勤務
  • 木曜日 午前勤務/午後休
  • 金曜日 副業先で勤務
  • 土曜日 休日
  • 日曜日 休日

 

それでも会社は回っている

私がそれしか出社せずにいても、破綻をきたさない。会社というのはかくあるべし、と言うべきでしょうか。しかし、会社に法務は私1人しかいないんですね。1日私がいなければその分契約書のチェックやその他の法律的な相談業務などが止まるわけです。

 

もしや小鳥遊暇なのでは!?という疑念が湧きますね。もしかしたらそうかもしれません。比較対象がなかなか見つからないので、自分でもよく分からないんです。なので、仮に暇でなかったらという前提で話を進めます。

 

コントロール感の源

コントロールしている感はどこからくるか。それは、上記のような余裕のあるスケジューリングができているときです。

 

余裕のあるスケジューリングはどうすればできるか。簡単なのは「①仕事を速くこなす」か「②そもそも仕事を引き受けない(発生させない)」「③計画的に先送りする」の3つだと考えます。

 

①や②は「それを言っちゃーおしめぇよ」的なアレですので、③について考えます。

 

先送りは計画的に

先送りには2つ種類がありまして、良い先送りと悪い先送りがあります。こんな記事を書きました。参考までに。

hochebirne.hatenablog.com

結論だけ言うと、計画的に先送りができれば良いということです。

 

旦那がどんなに強がっていても奥さんの掌の上で遊ばされているだけだった、みたいな話ありますね。それです。タスクがどんなに手強くても、きちんと手順を踏めば怖くないです。締め切りから逆算しておけば「今日はここまで」と途中で終えても何ら不安はありません。

 

抱えているタスク全てについて「今日はここまで」ができる状態であれば、タスクたちは自分の掌中にあります。

 

コントロールしている感の正体

ここまでくるとお分かりかと思いますが、コントロールしている感は、全てのタスクについて手順が明確であり、それぞれの締切が分かっており、締め切りを破ってしまう不安がない状態が生み出すものだと思います。

 

上記が把握できていれば余裕のあるスケジューリングも可能になり、コントロールしている感を味わうことができるようになるのではないか、というのが私の実感です。

 

打たれ弱さはタスク管理でカバー

どうしようもない打たれ弱さ

自分でもびっくりするくらいに打たれ弱いんですね。相手にそこまでの意図はなかったとしても、息が浅くなり思考が極端に遅くなってしまいます。どこぞの記者会見ではありませんが「頭が真っ白に……」という状態になりやすいのです。

 

どうやら、自分の中には、相手の言葉に含まれるネガティブな要素を増幅して受け取ってしまう傾向があるようです。深読みし過ぎ、曲解と言い換えることもできるかと。これが私の考える「打たれ弱さ」だと考えます。

 

自分で勝手に深読みしてショックを受けて一時停止状態に陥ってしまうなんて、周囲からしたら本当に世話ないですよね。

 

打たれ弱さ対策

筋肉を鍛えるように打たれ強くなれるのか。できるのかもしれませんが、おそらく脱落者多数で非常に危険なやり方だと思います。打たれ弱さを変えずに、どうしたら打たれないかを考えるのが良いと思います。

 

そこで、おそらく有効であろう方法として以下2つをお伝えしたいです。

  • あえて額面通りに理解
  • 上手に責任転嫁

 

あえて額面通りに理解

相手の言葉から、なかば無理矢理にでもネガティブなメッセージを引き出して増幅してしまう「深読み」癖があるのであれば、その深読みをしなければ良いわけです。

 

そのためには、具体的な表現に言語化して書き出すことで、自分の頭の外に出して固定化するのが良いと思います。

 

「この申請書類、きちんと書いてね」と言われたなら、「きちんと」という言葉に必要以上のプレッシャーを私は感じてしまいます。そこで、「きちんと」の内容を「文字を間違えない」「提出期限までに提出する」という具体的な表現にして、「文字を間違えずに、期限までに申請書類を提出する」と紙か何かに書き出します(これを「額面通りに受け取ること」とお考えください)。

 

そうすると、文字を間違えず、期限までに提出すれば、他は何をしても良いのだなと思えるんですね。額面通りに受け取ることによって、「きちんと」の言葉から類推して「もしかしたらできるだけ早く出した方が良いかもしれない」「周りの迷惑にならないよう誰にも相談せずに申請書類を書き上げなければいけない」といった変な深読みに縛られることがなくなります。

 

 

上手に責任転嫁

さらに、書き出したものは、精神的にも自分からの距離感があるので、客観視できます。アサッテの方向に深読みし過ぎて自分の責任だと思い込む癖のある私は、目の前に書いてあることに従うだけという責任転嫁をして、この自責傾向から逃れることができています。

 

いずれもタスク管理で実現

この2つの方法は、タスク管理で実現することができました。私が実践しているタスク管理手法"GTD"では「まず頭の中にあるやるべきことを追い出して一箇所に書き出そう」「書き出したやるべきことの目的やそれに至る手順も明確(書き出す)にしよう」というルールがあります。GTDのルールに則って毎日の業務タスクをこなしていれば、自分の打たれ弱さは相当カバーできます。

 

しかし……

タスク管理で相当カバーできるようにはなったものの、それでも精神的なダメージを完全に回避することはできません。

 

今の会社では障害者雇用で入社した当初、社長との面接で「何か配慮することはないでしょうか?」と言われて咄嗟に口走ってしまった「怒らないでください」という情けないお願いが功を奏しています。驚くべきことに、社長やその他周囲の方々はそれを守り続けてくれています。その点については、タスク管理によって業務の質と速さも向上し、そのお返しになっているかなと自分で勝手に考えていますが、周囲の方々はどう思っているかは分かりません。

 

そんな周りの神対応に守られつつ、それでも精神的なダメージを受けることがあります。その対応策は、今のところ模索中です。

 

ただ、タスク管理がなければ、ひのき棒と布の服で竜王に戦いを挑むような(ドラクエⅠを知らない人すみません)、完全に勝ち目のない毎日を送っていたと思います。

タスク把握と見極めの流儀

調子に乗って第2弾

タスク分解の流儀という題のエントリーを書いたのでその第2弾を調子に乗って書きます。タスク管理手法"GTD"の「把握」と「見極め」を私はどうやっているか、の説明です。

 

前提として、内勤の事務職でパソコンが目の前にあることが多いという設定です。

 

全てのタスクをツールへ!

最終的には全てのタスクをツールに落とし込むところまでやってタスクの把握が終わります。タスク管理ツールにないものは自分のタスクではありません。向かいのホームや路地裏の窓、ましてや旅先の店や新聞の隅にもないのです。

 

タスクがツールに行き着くまで

まずはメールを読んでツールに入力するパターンです。私はこれが多いです。1つのメールを読んで、すぐ(2分程度)に終わるものでなく、自分が対応する必要があるものであれば即座に入力します。

 

次に多いのは、口頭や電話で言われてツールに入力するものです。タスク管理ツールは常に目の前のパソコンで開いているので、聞き終わったらすぐ、もしくは聞いている最中からツールに打ち込みます。

 

ただし、メールを読んだ後にしろ、口頭で言われた後にしろ、すぐにツールに打ち込めないときもありますね。そんなときは、あらかじめパソコンと自分の間の目の前に置いているノートにメモします。「2/28 ミツモリ タナカ」とか、サササッとかける程度に省略したメモです。後でそのメモをツールに入力します。

 

「見極め」は入力と同時に

タスクの見極めとは、①タスクの目的を明らかにして、②その目的を達成するのに必要な手順を明確にする(タスクの分解)に分かれます。

 

私は入力と同時に、少なくとも上の①もやってしまいます。メールを読んだらすぐに「昨日の会議議事録を3/5までに作成する」といった明確な目的へ言語化してすぐツールに入力します。

 

かなりの場合、とりあえずのタスク分解もその時点で入力してしまうのですが、少なくともタスクの目的(タスク名)さえ入れれば良し、としています。

 

把握と見極めの流れ

ということで、以下のような流れになります。

 

メールか口頭によりタスクが発生

(場合により、ノートにメモ)

頭の中でふさわしいタスク名を考える(見極め①)

パソコンにあるタスク管理ツールへ入力(把握)

 

GTDの把握と見極めの本質

これで私は今のところ破綻なくGTDを運用できています。シンプルですが、必ず1つのリストに集約され、しかも実行しやすいタスク名になるので、抜け漏れしてしまう「把握」のリスクが減り、把握したけど実行されないという「見極め(の①)」のリスクが減ります。

 

このエントリーは私のやり方の紹介ではありますが、本質はこのようなものかなと思っています。

太陽に向かって走りだしていました

ある光景

「あの太陽に向かって走りだそう!」「はい!」

「アハハハ」

「アハハハ」

 

光景が思い浮かぶ人、どれぐらいいるでしょうか。青春ドラマでありそうなシーンですね。ただ笑いあいながら走り、ズームアウトして「〜完〜」と表示されて終わるのがよくあるパターンかと。

 

実際は太陽には着かない

当たり前ですがこれでは太陽に到着しないわけです。ではなぜ太陽に向かって走りだすのか。一緒に走るという行為がしたいだけなんですね。

 

むしろ、到達してしまってはいけないのだろうと思います。

「あのカフェに向かって走りだそう!」

「アハハハ」

(カランコロンカラ〜ン)

「いらっしゃいませ」

「あ…はい……」

となってしまいます。到着してしまうと一気に気まずくなります。もう走れないからです。

 

目的の明確化

これが仕事になると話は違います。太陽に向かって走りだす的な仕事のやり方は疲弊するだけです。太陽に到着するという達成できない目標は捨て、カフェに向かうべきです。そして、ただ「カフェ」ではなく「〇〇駅西口の中央通りにあるドトール」といった、特定可能な形に言語化すべきなんです。

 

実はよくやりがちでした

馬鹿馬鹿しい話を大真面目に書いているのですが、同じようなことを実はよくやってしまっておりました。

 

「これやっておいて」と言われて「はい!」と元気よく返事をしたはいいものの、一体なんのためにどういうものを作れば良いのかを理解せずに作業に取り掛かってしまう。疑問点が出る。そもそもなんのためにやるのかが分かっていないので自分で軌道修正ができない。

 

さっき「はい!」と元気よく返事した手前、今さら質問するのも気がひける。手が止まる。こうして先延ばしシチュエーションが完成します。自分で勝手に太陽に向かって走り出してしまって「……ってか、太陽ってどう行ったらいいの?」と言っているのです。

 

事例をかえただけ

太陽に向かって駆け出して勝手に迷っている例は滑稽に映ります。なぜおかしいのか。それは、筋道が通っていないからです。「おいおい、太陽なんてそもそも行けないですよ」というツッコミが入って終わりです。

 

しかし、場面を仕事場に置き換えると、なぜかあるあるネタになってしまいます。目的を明確にしないまま会議をしてしまった経験はよくあります。誰もツッコミをせず終わります。会議をするために会議をしていたような気がします。考えればおかしな話です。

 

タスク管理では、事の大小を問わず、目的を明確にすること__「いつまでに」「何を」「どうする」といったことを決めること__の大事さを口を酸っぱくして言っています。会社で太陽に向かって駆け出さないよう、よくよく気を付けなければと思っています。