昼休みの余裕
昼休み
ある日の昼休み、午前中の仕事を終えて自分のデスクで弁当を食べ、椅子に寄っ掛かりながら音楽を聴いていました。
ふと思ったのですが、以前は必ず外出して昼食をとっていたなぁと。ある時までは仲良し数名(全員男)で毎日「今日どこ行く?」とキャッキャする幸せな日々でしたが、精神的に辛くなり始めた時は「会社に居たくないから外に出る」でした。
毎日近くの公園に行っては、その目の前のスーパーで弁当を買い、「会社に戻りたくないなぁ」と愚痴をこぼしつつボソボソと公園で弁当を食べ、しょうがなく職場に戻るの繰り返しでした。
末期の時は、公園まで行く気力すらなく、もっと近くのルノアールで過ごし、なぜか涙がボロボロ出て止まらないという毎日で、要するに病んでいたわけです。
そんなことを回想しながら、今の自分の昼食の取り方を見てみると、外出はせずとも特段嫌にならずに、むしろ音楽に心から感動するまで余裕を持ちながら過ごしていることに気が付きました。
その日聴いた曲がまた良かったんですよ。行進曲「威風堂々」で有名なイギリスの作曲家サー・エドワード・エルガーが書いた交響曲第2番の第2楽章。決して有名な曲ではありません。ただ、英国紳士が笑みをたたえて落ち着いた所作で挨拶をするような、そんな気品と慈愛に満ちた音楽なんです。
昨年私は、所属しているアマチュアオーケストラでこの曲を演奏する機会を得ました。最初は知らなかったのですが、知れば知るほど好きになっていきました。指揮者が練習で言った、この楽章の中間部にある弦楽器の優しい旋律の解釈が忘れられません。
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イギリス人はね、心の中ではとても強い思いを持っていても、決してストレートに表には出さない。国民性なんですかね。エルガーもそうです。
ここの旋律はピアニッシモ(とても弱く)なんですが、ただ弱くしてちゃダメなんです。それじゃ(オケの演奏が)無表情になってしまう。
ここの弱さは、例えば、赤ちゃんを抱いて、愛してたまらなくて抱きしめてるんだけど、抱きしめ過ぎなくて子供が泣かない。
(旋律の一節を歌いながら)クァ〜ッと抱きしめてるんだけど、子供が泣かないよう、大事に抱きしめている・・・・・分かりますかね?
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解説が終わり「ではそんな感じでもう一回やってみましょう」とタクトが振り下ろされた時、感動して殆ど泣きながら吹いたことを覚えています。
以来、ここの旋律はただ綺麗なだけではない、色々な感情が込められた特別なものに聴こえるようになりました。
そんなことに思いを馳せながら、心から音楽の世界に没入して楽しんでいる状態、以前はありませんでした。
精神的余裕
昼休み中にそこまで音楽を楽しむには、精神的な余裕がないと、とてもじゃないけどやってられませんよね。
この余裕は、頭の中が「あの仕事どうしよう」「この仕事ヤバイ、時間が足りないよ!」といった不安に占められていた場合は、到底出せません。
明確に仕事の情報がタスク管理ツールにあり、自分の脳に記憶させる必要がなく、それらの仕事の完了までの見通しがついているからこその境地なのかもしれません。
このエルガーの交響曲第2番は、エドワード朝を回顧するようなノスタルジックな雰囲気に満ちた曲であり、以前の自分を振り返っていた自分の気持ちにも上手くマッチしたのかもしれません。
こうして、ちょっとした時間に簡単に仕事から自分を引き離すことができるのも、タスク管理の成せる業だと思いました。