ForGetting Things Done

「水のように澄みきった心」で頭空っぽに。

タスク管理はパンである

聖書には「人はパンのみにて生くるにあらず」という言葉があります。

 

人は物質的な満足(=パン)だけを目的として生きるものではなく、精神的なよりどころ(=聖書)が必要である。

 

という意味です。

 

発達障害者支援のイベント動画を見ました。参加者も大勢いて、きっと何かを得ようとしてその場に来たのだと思います。得られたのか。得られないで帰ったのか。とても気になります。

 

発達障害当事者支援にはいろんな活動があって、いろんな方向性があっていいと思います。イベントの中では、自分の中にある長所や得意なところを見つけ出そう、そして何か行動を起こそう、ということを最初のスピーカーの方はおっしゃっていました。つまり、ハンディキャップがあるならあるで、その人なりの生き甲斐を見いだそうということだと理解しました。

 

生き辛さマックスだった数年前の私だったら、果たして「そうだな!生きがいを見つけて生きていこう!」と考えられただろうかと思いました。

 

おそらく、翌日会社に行ってやるべき仕事、待ち構えているであろうメール、仕事外でもやらなきゃいけない手続書類、それらをどうにかしなきゃいけないということで頭がいっぱいだったはず。

 

会社員として働いていた自分にとっては、「これからどうあるべきか」という抽象論よりも「どうしたら仕事を確実にこなせるか」という具体的なアドバイスが必要でした。自分には、聖書よりもパンが必要だったということです。

 

極論を言うと「人生の目的を見つけよう!」「発達障害は必ず長所があるはず!」ということを言われてイベントから帰るよりも、「仕事はこうするとはかどります」といった翌日から実生活に活かせる話を聞いて帰る方が、少なくとも昔の自分は、より得られた感が高かったのではないかと思うのです。

 

タスク管理の方法論は、まさに「翌日から実生活に活かせること」なので、自分を直接的に救ってくれる、自分にとっては最優先で大事なことです。冒頭のイベントの動画を見て、その位置付けを改めて認識しました。

 

もちろん、自分のやりたいことや生き甲斐などを見つけるのは大事です。しかし、それだけに終始せず、具体的で現実的な救いの手段としてのタスク管理も、もっと啓蒙されて広まっていくのも大切だと考えています。聖書もパンも両方大事です。

 

ただ、とかく発達障害者支援という領域では、聖書をただ読むだけだったり、パンはパンでも食べられないパンだったり、という傾向にあるような印象が、私はどうしても拭いきれないのです。