根性論に頼らない「ベストを尽くす」方法
何事にもくじけないための、ごくシンプルな秘訣がある。それは「何をするにもベストを尽くそう」とたった今、決心することだ(そう、この本を読んでいる今、この瞬間だ)。ここで注意してほしい。「ベストになる」のではなく「ベストを尽くす」のである。
(中略)「今、何をすることが私にとってのベストだろうか?」。そう問いかけ、それに対する答えに耳を傾けて実行すると決意したならば、自分の心のどこかにある「疑い」や「ためらい」や決めつけ」に攻撃されても、くじけるべきではない。そういう陰湿な方法で攻撃する術を知っているのは、ただ1人、あなた自身のネガティブな部分にほかならない。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの仕事術 仕事と人生をコントロールする52の法則」より)
「ベストを尽くす」という言葉に対して、とても根性論、精神論的な臭いを感じる人は少なくないのではないでしょうか。筋肉ムッキムキなナイスガイが、白い歯をキラッと輝かせながら満面の笑みで「だから、頑張ろうよ!さあ!」と迫ってくる様子が思い浮かびます(運動をしてこなかった私のひがみがかなりの部分を占めています。どうかお見逃しを)。
「1週間に10日来い」といったような、無理を承知でそれでもやらなければいけないといった雰囲気が「ベストを尽くす」にはあります。現実にそうなのか考えてみました。
理不尽に盲信せよという意味なのか?
ベストを尽くすという言葉には、自分の限界をはるかに超えた力を発揮する、理不尽だと思っても疑わずに従って努力するという意味合いが含まれているような気がします。ワタミ創業者の渡辺美樹氏と小説家の村上龍氏のテレビ番組での対談の内容が、根性論としての「ベストを尽くす」だと思います。
渡辺美樹
「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ」
村上龍
「?」
渡辺美樹
「途中で止めるから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃ無くなります」
村上龍
「いやいやいや、順序としては『無理だから→途中で止めてしまう』んですよね?」
渡辺美樹
「いえ、途中で止めてしまうから無理になるんです」
村上龍
「?」
渡辺美樹
「止めさせないんです。鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく一週間全力でやらせる」
村上龍
「一週間」
渡辺美樹
「そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう」
村上龍
「・・・んん??」
渡辺美樹
「無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから。『無理』という言葉は嘘だった」
村上龍
「いや、一週間やったんじゃなくやらせたって事でしょ。鼻血が出ても倒れても」
渡辺美樹
「しかし現実としてやったのですから無理じゃなかった。その後はもう『無理』なんて言葉は言わせません」
村上龍
「それこそ僕には無理だなあ」
GTDの創始者デビッド・アレンが言っている「ベストを尽くす」は、この意味ではないと私は考えています。
「ベストを尽くす」は「自らの心理的障壁を取り除く」仕組みを作ること
ベストを尽くすということに含まれるのは、「今これをやっていて本当に良いのだろうか」といったよそ見の思考と、「これをやって結局どうなるのか」という諦め(と逃げ)の思考を取り除くことだと私は、考えています。
歯を食いしばって強靭な忍耐力でベストを尽くすことができました!というのは、上記の「無理」に限りなく近いと感じます。無理せずともベストを尽くすことができる仕組みを作れるのが、より「ベストを尽くせる」人なのではないかと。
「よそ見の思考」「諦めの思考」が、デビッド・アレンの言う「疑い」や「ためらい」や決めつけ」です。そういった自らの心理的障壁を取り除く、あるいは発生させない仕組みがタスク管理だと感じています。
ベストを尽くす仕組み
タスク管理では、タスクを細分化して着手しやすくしたり、すべてのやるべきことを1っか所に書き出して余計なことを考えずに目の前のタスクに集中できる環境を整えたりすることで、「疑い」や「ためらい」や決めつけ」を発生させないことがその役割の大きな一つです。
到底達成できないこと、無理し過ぎて達成しても自滅しかねないようなことを実現しようとする姿勢は「ベストを尽くす」ではないと思います。そうではなく、自らに課している制約や障壁を取っ払える仕組みを持っていることが「ベストを尽くす」ことだと私は考えます。タスク管理は、それになり得ると確信しています。