「タスク分解」による無責任のススメ
TODOリストで自分がやる業務タスクを書き出したら、その数の多さに辟易した経験はないでしょうか。私はそれで何度もやる気を失って、TODOリストを闇に葬り去ってきました。
この現象に終止符を打ったのがタスク分解によって一時的に仕事を下すという考え方でした。言い換えれば、タスクの手離れを良くするということです。先日福岡でおこなった「自分は要領が良くない、と思い込んでいる人のための仕事術」に参加いただいた方から、この点について教えて欲しいとのご要望をいただいたので、その返答として書きたいと思います。
- タスクの手離れとは?
- 手離れできるタスク分解の例①「タスクは完了していないが、自分ボール持ちでなくなること」
- 手離れできるタスク分解の例②「自分ボール持ちが終わり、あとはタスク完了まで他の人ボール持ちとなること」
- もっと無責任になる
タスクの手離れとは?
そもそも、ここでの「タスクの手離れ」とはどういうことかを決めておきたいと思います。
- タスクは完了していないが、自分ボール持ちでなくなること
- 自分ボール持ちが終わり、あとはタスク完了まで他の人ボール持ちとなること
ざっとこの2つとしたいと思います。
手離れできるタスク分解の例①「タスクは完了していないが、自分ボール持ちでなくなること」
上記の1では、上司から指示を受けて資料を作成するというタスクがあったような場合を想定しています。大雑把にタスク分解するとこのようになります。
- 資料を作成する
- 上司に確認する
- 完成させる
これだと、「資料を作成する」のも「上司に確認する」のも「完成させる」のもすべて自分なので、ずっと自分がこのタスクのボールを持ったままです。自分の手から離れません。これを、次のように分解してみます。
- 資料を作成する
- 上司に確認依頼のメールを出す
- 上司からフィードバックのメールをもらう
- 完成させる
このように分解すると、2番目の「上司に確認依頼のメールを出す」ことが終わった時点で一息つくことができます。この部分が「手離れ」している状態、ということになります。
また、「確認」という言葉はとてもその意味の範囲が広いので、フィードバックをもらってから「じゃあ、ここはこうした方がいいですね」と資料に反映させるところまでが「確認」の中に入ってしまいます。
資料作成というこのタスクは、進捗は今どこにあるかという質問があったとしたら、「上司と確認中です」と答えるしかありません。しかしそれは、「上司にチェックしてもらうのを待っている状態」なのか「上司にチェックをしてもらったフィードバックをもらって、それを資料に反映させるという自分の行動を実行中の状態」なのか、両方ともあり得ます。
仮に、上司がフィードバックのメールを自分に送っていたとして、そのメールを自分が見落としていたら、その仕事のお見合い状態が見えなくなってしまいます。
手離れできるタスク分解の例②「自分ボール持ちが終わり、あとはタスク完了まで他の人ボール持ちとなること」
「後は頼んだ!」と気持ちよくパスするようなイメージです。これを分かりやすくするのにも、実はタスク分解は一役買っています。
上記の例で、 最後の「完成させる」がちょっと不明確だと私は感じます。
- 資料を作成する
- 上司に確認依頼のメールを出す
- 上司からフィードバックのメールをもらう
- 完成させる
完成させて、自分のパソコンのローカルの中に入れておくだけで良いのか。それとも、作り終わった資料をどうにかするという工程があるのではないか。この考えが大事だと思います。 私であれば、このようにさらに細かく分解します。
- 資料を作成する
- 上司に確認依頼のメールを出す
- 上司からフィードバックのメールをもらう
- フィードバックを反映させて完成させる
- 上司へ提出する
そもそも、この仕事は上司が資料が欲しかったから自分にその作成を依頼してきたものですね。完成させて終わるのではなく、上司に提出してはじめてこのタスクは完了となります。「終わった!」と手離れする瞬間です。
手元資料を作成するのであれば提出は必要ありませんが、いわゆる会社での仕事の多くは、誰かから依頼を受けて、その結果できたものを返すということだと考えています。そうであれば、タスク分解された一番最後の段取りは、「提出する」「メールを出す」「連絡する」「渡す」「伝える」といった、仕事のボールを誰かに投げる行動になることが多いはずです。
詰めが甘くならないように、一番最後の段取りをこのような具体的な行動に言語化できているかどうかが、手離れを良くして肩の荷を下ろせるかどうかを左右すると実感しています。
もっと無責任になる
「仕事の重荷を下ろす」「他人へボールをなげる」といったことは、自分が負うべき責任から逃げるような無責任なイメージがあるかもしれません。確かに、積極的に仕事にコミットするのは大事です。しかし、必要以上に自分がボールを持つのは、組織にとっても、自分にとっても、あまりよろしくないのではないかと考えています。前者は仕事のお見合いを誘発しがちですし、後者は無駄な自分の作業を増やすだけです。
得てして、必要以上にボールを持ってしまう人は、正義感が強く、利他的な人が多いと思います。それ自体はとても良いことだと思います。しかし、タスクをよく分析(目的を明確に言語化して、具体的な段取りへ分解)すると、あまり自分が手を動かさない方が良い場合が少なくないことに気が付きます。
自分の正義感、利他的な倫理観にちょっとそぐわないかもしれませんが、意図的にもっと無責任になっても、実は仕事を進める上で大勢に影響はないことが多いです。むしろそうした方が良いこともあります。
いずれにしても、ボール持ちを意識したタスクの分解をすることで、不要な責任を負うことがなくなり、自分の負担を減らせるようになることはほぼ間違いないと思います。そして、それは決して悪いことではありません。