「憶えている方が優秀」というステレオタイプを捨てよう
物知り、博学であること自体は素晴らしいことだと思います。しかし、必要以上に持ち上げられすぎていやしないかとも思っています。
記憶こそ優秀さの判断基準!?
偏見かもしれませんが、高校や大学などの入学試験で求められるのは、一部の特殊な入試方法を除き「どれだけ記憶できたか選手権」に勝ち残る力だと思っています。
そして、その力が社会でその人を判断する大きな価値基準になっていると感じています。憶えていることこそ素晴らしい!というものです。
GTDは記憶に頼らない
GTDは「忘れよ!」「信頼できるシステムに情報を全て預けよ!」と言っています。憶えることを最上とする考え方には沿っていません。
今やらないといけないこと、あとでやること、いつかやる必要があること……大きなことも小さなことも、すべてを頭の中からいったん吐き出し、信頼できるシステムに預けることだ。当たり前のように聞こえるかもしれないが、ほとんどの人はこれができていない。(「あなたのやりたいことを今ここですべて見せてください」と言ったら、あなたは見せることができるだろうか)。
(デビッド・アレン「ストレスフリーの整理術」より)
完璧な記憶より、記憶しないで済む環境を
引用したデビッド・アレンの著書の表現を使うと、「信頼できるシステムに、すべての頭の中のものを預ける」ことができていない人が多いということになります。それは、信頼できるシステムが見つかっていないからという理由でできていない人もいますが、殆ど多くの人は、「頭の中に入れておいても忘れない」という自信が大なり小なりあるのではないかと考えています。
もし、「一定期間経つと記録されている情報が無くなっていきます!」というポップが付いたUSBメモリが売っていたとします。買いませんよね?記憶に頼っているときは、そんなUSBメモリを使ってPCを操作しているのと同じことだと私は感じます。
仕事についての情報であればなおさらですが、情報の抜け漏れによるリスクを避けることは何にも増して大事だと考えています。そうであれば、上司から「これについてどうなっているか?」と聞かれた瞬間に、立て板に水のごとく返答をそらんじることができるような状況への憧れがあったとしたら、それは捨てた方が良いと思います。
そのような憧れを捨てると、GTDで謳っている「信頼できるシステムにすべてを預ける」という文句に強烈な魅力を感じ始めます。そうなったらしめたもので、不要なステレオタイプから脱却し、ストレスフリーへの道まっしぐらです。